鳥居タマと申します。
神奈川県生まれです。
私が、18歳の時、この先どうやって生きて行こう?どうしたらいいの?
と、迷いながら生きていました。周囲の人達は皆、幸せそうに見えたんです。
でも、それから、私の人生は大きく変わる事になりました。
私が看護師になった理由
私が看護師になったのは、25歳の時でした。
看護学校に通い・・・やっと、看護師の免許を取得しました。
何故?看護師になったのか?
それは、母親から言われた言葉
「これからは、何でも機械化(ロボット化)が進んでくると思うの。失業者であふれる時代がきっと来る。
それに、これからは、女性も自立しなきゃダメよ。だから、この二つを叶えてくれるのは、看護婦しか
ないと思うの。だから、看護婦になったらいい」と。
実際、看護学校って、教師は厳しく、実習正を虐める病院の担当看護師。何人の生徒達が挫折し、退学していった事か。
看護師として働き、最初の10年位は良かった。お給料も普通のサラリーマンより高く、休暇もそれなりに取れました。
だから、私は離婚をしても、息子二人を連れて海外旅行に年に1度、行っていました。
ディズニーリゾートには、年に何回も行っていましたし、家も買う事ができました。
なんで? 私が看護師を辞めた理由
病院で働く看護師は、職員かパートしかありません。
病院のパートは何故か時給が安い!! 生活してはいけません。
夜勤をしなければ、パートになるしかない。
私は、ある程度、子供達が育ってきた時「もう、夜勤はしない」と思いました。
夜勤をしていると体内時計が狂ってしまい、食事も当然、不規則になります。
心身ともに「きつい」んです。
一言では言えない・・・
だから、私は老人福祉施設に就職しました。
老人福祉施設、いわゆる老人ホームですが
老人ホームって、看護師の人数が少数です。2人から、多くても5~8人。
だからなのか。微妙なんです。人間関係が。
看護師同士でも、微妙な人間関係・・・。
私は常にこう、考えていました。「ここは、介護施設。だから、中心は介護スタッフ」と。
でも、医療的な事は看護師が分かり易く指導しなければいけない。
だから、そこには溝の様な物ができています。
更には、事務所との関係も微妙です。
生活指導員やケアマネージャー、施設長との関係も微妙としか言いようがありません。
結局、老人ホームでは「パワハラ」を受け「転勤」となり退職せざるを得ない状況に追い込まれ
退職しました。
世間を見てみた!
退職して、気づいたんです。
世の中は、今やWEBだ! ITだ!と。
そこで、私はリサーチを始めました。
現在のトレンドは何か?
初めは、WEBデザインに興味を持ちました。本を読んだり、YouTubeを見たりと独学でいける!と思っていました。
ところが、それは無理だと気づき、スクールへ入校。
必死で勉強した・・・結果、
案件が取れない! 仕事が貰えない!
自分と同等レベルの人達がうじゃうじゃと・・。
数年前なら、良かったのかも知れません。
同じスクールの卒業生同士で案件の取り合いをしている
状態が起きていたんです。
これは、本当に心がきしみました。 。 。
私は自ら、その戦いに終止符を打ちました。
人生諦めが肝心?!
私は、更にリサーチをしました。
詐欺?!とも思えるキャッチの数々。無料の公式LINEアカウントは沢山、登録しました。
でも、どれもこれも、結局は一時的な収入としかならない
又は、全くお金になんかならない「情報」ばかり。
一体全体、どうなっているのか?信頼できる人や情報はどうやったら手に入るのか?
毎日、毎日、パソコンの画面を見つめる日々・・・。
「もう、諦めよう。看護師に戻るしかない」と思い始めました。
人生、諦めが肝心とも言うよね。と考えるようになっていました。
母のことば
「これからは、女性も自立しないと」と言った母は凄い!と思う。
私の母も仕事をしていました。フェミニストでした。
今や、男尊女卑ならず、女尊男卑と言う人さえいる時代。
こんな時代が来る事は誰にも予想はつかなかったと思います。
そして、母はこうも言いました「世の中、ロボット化が進む」とは、
正しく「今、この時、この時代」を指している!
AIが物凄い速さで私たちの生活を取り巻いている。
WEBデザインだって、もう、AIでできる時代。コピーライターも、既にAIがやってくれます。
介護の現場にもロボットが導入されつつあります。
母は、こんな時代を見ていたのか?
母は強し、正しく私の母は凄い人でした!